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2018.01.21日々のこと

新学期が始まって少しした頃、今季一番の寒波がやってきました。朝の登園時間に「寒い寒い」とお部屋に駆け込む子ども達は「見て~」と手袋の見せあいっこをしたり、「先生、手さわってごらん」と冷たい手を私のほっぺにくっつけたりしてきます。「わ~ほんとにつめた~い」と私が言うと『寒い日は手が冷たくなる』という科学を発見した子ども達はどや顔で胸をはります。このように、大人にとっては当たり前の現象も子ども達は『不思議・発見・学び』として捉えていきます。

私たち大人は子どもに何かを教える時に、『間違えないように』『困らないように』『要領よく最短で覚えられるように』と、言葉で知識を伝えていきます。そして、同じことを間違えたり、聞いたことを忘れていたり、伝えても伝えてもなかなか伝わらないことに対して「前も言ったでしょ」「何回間違えるの」とイライラしたりします。しかし、子どもの学びには「動きながら獲得する」「繰り返し定着させる」というモンテッソーリが発見した法則があります。

子どもが目を輝かせながら何かの報告にきた時は、側にいる大人がほんの少し子どもの心に寄り添いながら子どもが感じた自然の不思議を①一緒に驚いたり、②一緒に考えたり、③一緒に調べたりしながら答えを与えず心の動きに注目するようにします。子どもの疑問をその時に解決させるのではなく、「なんでかな?不思議だね」と答えを先送りにするようにします。すると子どもは今ある自分の知恵を引っ張り出し「だって冬だもん」「風が冷たいから」など自分の思考を巡らせていきます。お友達と「そうだよ、違うよ」とコントのようなやり取りが始まったりします。そんな時、「○○だからでしょ」と答えを伝えてしまうと「なんで?」と子どもは答えの中に含まれている次の疑問を聞いてきます。それに答えると次の「なんで?」が帰ってきて、子どものなんで攻撃は続き、とうとう答えに詰まってしまいます。

子どもたちにとって大切な事は『自分の心に正直に聞く事』『考える事を楽しむこと』と私は思っています。答を与えすぎると答を知りたい子が育ちます。子どもの不思議に寄り添うと考える事を楽しむ子が育ちます。考えることが好きになった子は答を探そうとする子になります。幼児期は子どもの探求心を大切にする時期です。自分で答えを探そうとする子どもになってくれるよう、私は自然の小さな変化に気づき、心が動いている子どもの姿をいつも大切に見守ります。

北風が緩んだある日、公園では今縄跳びがブームです。公園に着くと「先生まわして~」と長縄を跳んだり、前とびを練習する子どもの姿があります。あんまり一生懸命頑張るのでなわとびカードを作りました。ある日、通算200回まで跳んでいた子が「1000回まで飛ぶ」と目標を決めました。縄が引っかかった続きから数えながらですが、何度も何度も跳びます。途中「つかれた~」とベンチに横たえるその子に「明日また続きにする?」と聞くと「嫌だ」と想定通りの答えが返ってきます。縄を回す私の右手も限界に近づいていましたが、その目標を達成することがその子にとって大きな学びになることを知っている私は最後まで付き合うと決めていました。結局45分かけて1000回まで達成することが出来ました。「疲れた~」という表情は笑顔でいっぱいです。

何かを成し遂げるための姿勢は、自分で選んだ目標に対してのみ現れます。モンテッソーリが発見した活動のサイクル『自己選択→繰り返す→集中する→達成感をもって終わる』が公園遊びのこんな一場面にも表れます。

私たちは『どれが集中現象を引き起こす子どもの選択なのか』を見逃さないように日々の子どもの様子を観察します。その選択は大人の思いと違う事がほとんどです。大人の思いが子どもの心を超えないように、子どもの思いに大人が寄り添う事によって更に大きくまた強くなるように、子どもの選択を正しく読み取る心を大切にしたいと思います。

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